喪主と呼ばれる事に違和感満載
昨日、無事火葬も終わり遺骨を我が家へ持ち帰りました。
題名の通りなのですが、父は葬儀をせずに小さなお葬式で火葬式をしました。
所謂直葬です。
私も不慣れだったのもあるんですけど・・・
葬儀はしていないものの代表者を呼ぶときに便宜上「喪主様」と呼ばれました。
その喪主様という言葉にどうしても違和感が拭えなかった私です。
長子で長男の兄がバリバリ健在なのに次女で尚且つ3番目の子供の私が喪主様と呼ばれるのに本当に違和感半端なかったのです。
火葬だけでしたけども、あらゆる場面で「では喪主様から順に・・・」「喪主様を先頭に・・・」「では喪主様に・・・」
いや、まぁ当たり前の事なんですけどね。
私達兄妹やその配偶者、子供達も何となく違和感を感じながら火葬は進行していきました。
きっと一番「??????」と思っていたのは私達兄妹の配偶者たちだと思います。
特に兄の奥さんはこれおかしくね?って考えてたはずです。
口には出しませんでしたが。
遺骨を持って歩く夫を見てとうとう違和感が爆発する
最後にですね。収骨した後ですね。ご遺骨を持ち帰られる方は?と担当者から聞かれたので、私です。って答えたんです。
その流れでご遺骨はかなり重いのでお車までは男性が持たれるほうが良いです。と言われたので我が家に持って帰るのだしと夫に持ってもらいました(私も不慣れだったのです)
ここよ!!ここ!!
完全に間違えた!!!
実子に男性いるじゃない!!
兄がいるじゃない!!
「あ!!間違えた!!」と思った時にはすでに夫が遺骨を持ち歩き出している。
そのまま駐車場まで夫が遺骨を持ち実子の兄より前を歩くという状態に。
しかも兄はなんと手ぶらじゃん!(遺影は作ってません)
これ兄が遺骨を持たなければいけなかったパターンですよね?
娘も、なんでパパが持ってるんだろ?って思ったとか。
夫もこれ俺じゃない。ってすぐに気づいたらしく・・・
兄はなにを思っただろう?もし私が兄の立場だったらプライドが傷つくかも。
なにも言ってなかったので分からないけども。
そんなんで全員がもの凄い違和感を感じながら終了したのです。
火葬前日に発見した祖母から父への手紙
実家の賃貸はもう解約してしまってます。
古い年賀状や手紙の束をごそっと袋に入れて持って帰ってました。
今回親戚の住所を知りたくて年賀状などそれらを出して確認していた所、古い古い封筒を見つけました。
中を見ると子供の手紙?と思うほどひらがなだらけの手紙でした。
父の名前だけが漢字で書かれています。
封筒の裏には祖母の名前がありました。
宛先などは達筆な文字で書かれていたので誰かが代筆したのでしょう。
祖母はもう20年以上前に亡くなっています。
祖母は新潟に住んでいて、よく手作りの笹団子をダンボールいっぱいに送ってくれたり、大量の手作りお惣菜を風呂敷に包み背中に担いで、電車を乗り継ぎ遊びにきてくれたりしてました。
もちろん小学校の夏休みには祖母の家に遊びに行ったりと思い出は結構あります。
祖母の年代だと字が書けなくても仕方ない時代です。
祖母の手紙もひらがなのみで、そのひらがなも判別しにくい。
このような手紙が数十枚出てきたのです。
母から息子への手紙です。
読める部分だけ見ると、手紙の返事は来ないし盆にも帰ってこなくて母さんはイライラしています。って書いてある手紙もありました(笑)
祖母からの手紙
父の名前は塗りつぶしてあります。
画像の手紙では
「はいけい
◯◯(父の名前)おまいも元気ですかこちらも元気におります
○○(父の名前)おまいがいてから(上京)もうじき10ヶ月になりますから言葉もだいぶ慣れたでしょう
おじさんやおばさんの所へお休みの時に行く時はたまにはお菓子でも持っていってください。
洗濯を時々しておいてください。
お手紙を送ってください。
さよなら
おかさんより
自動車の~(読めない)~気をつけてください。」
半分くらい読めないですね(^^ゞ
父は若い頃自動車整備会社で働いていたので自動車という言葉が出てきてるんですね。
手紙というプライベートな内容ですが、祖母も父も亡くなってこの手紙自体が50年以上前のものであると言う事で画像を載せさせて頂きました。
おばあちゃんが懐かしすぎて、おばあちゃんに涙が出てくる。父よごめんね( ;∀;)
消印は昭和40年
封書の切手代が10円の時代です。
火葬の前夜にこの手紙が見つかったという事は棺に入れて欲しいのだと解釈しました。
火葬の前に間に合ってよかったです。タバコと共に棺にいれました。
まだまだ手続きがごっそり残ってるし、さすがに今日は疲れたのでゆっくりさせて頂きます。