保護猫と暮らす あずとこた

保護猫2匹のほのぼの4コマ漫画と親の介護ブログです

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介護を振り返ってみる 中編 ※注意兄妹の愚痴多め

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続きの中編です。

前回の前編はこちら

hogonekoto.com

 

うっかり初めてこのブログに辿りついてしまったうっかりさんへ☆

兄妹の基礎知識

  • 兄は実家からで車5分(徒歩15分)に家族と居住。
  • 妹は実家から車・電車共に1時間程の場所に住む。
  • 姉は電車で1時間半ほどの場所に住む。
  • 私は車で2時間の距離に住んでいます。

両親の基本情報

  • 父は去年10月誤嚥性肺炎により施設で73歳で亡くなりました。
  • 母は現在要介護3で実家から30分程の施設に入所中。病気のデパート。
  • 貧乏賃貸住まい。母の入所を機に解約して実家と呼べる場所は無くなってます。

近居の兄と、姿を見せない妹の愚痴ばっかり書いてます。負のエネルギーに満ち満ちたページになりますのでご注意を。

受け入れてくれたのは従来型の老人保健施設だった

老健には24時間看護師がいます。

だから受け入れ可能だったのでしょう。

ケアマネが片っ端から電話をかけて受け入れてくれたのは福祉団体母体の老健でした。

看取りもやっている老健で、従来型なので3カ月で退所しなくちゃなんて事もない。

当時の私と姉、母にとっては救世主のような施設だったのです。

ただ老健なのできっとずっとはいられない。だけど出来るだけ長くこの施設にいさせて欲しい。

 

父が発熱すればアルコールを控え、食べなくなれば遠出は出来なくなった

父が入所してからは発熱の連絡が入ればいつでも運転して駆けつけられるようにアルコールを控え、食事が出来ない状態になれば私たち家族は遠出は出来なくなった。

家族に我慢させる事も多かったと思う。

それが一番堪えがたかった。

兄も妹も今頃好きな時に出かけて、父の事も母の事も介護している私たちの事も一瞬でも思い出す事など無いのだろうと。

こっちは家族に我慢を強いているのに、あいつらは好きなように遊んでいるのだろうと。

もう当時の私は兄妹を恨んで恨んで、もしかしたらちょっとヤバい人になりかけてたかな?なんて・・・・

今は当時ほど激しく恨んでませんけど、だからって許す気も無くて。

今後はあえて交流を持たなくてもいいやって感じです。

兄も縁切り上等!で介護拒否してたと思うので。

 

誤嚥性肺炎の報せに返事が無い事で親も切り捨てた事を悟った

既読スルー兄妹なんて命名しちゃってね(笑)

介護のヘルプをことごとくスルーされて怒りまくってた私ですが。

入所中の父が「誤嚥性肺炎疑いで酸素吸入してます。酸素の量が増えれば救急搬送します。いつでも電話に出れるようにしておいてください。」なんて施設から連絡が入ったので兄妹全員に連絡しました。

 

いやあ・・・・

兄と妹から返事来なかったんですよ。ほんとに。

ビックリですよもう。

実は以前、「救急搬送の時は一番家が近い兄が病院に駆けつけるんだよ!」って私から兄に言った事があるんです。

兄も「その時は仕方ない。俺の家が一番近いんだから。」って返事したんですよ。

ところがどっこい兄は本当は病院に行きたくなかった。迂闊に返事をすると巻き込まれる。面倒ごとはごめんだ。

ほんとはこんな感じでしょ?要するに逃げた。頼まれたくなくて。

その時にね、あぁやっぱり兄は親を切り捨てたのねって分かった。

両親をスパッと切った。清々しいほどに。

だから兄が先なんですよ。縁切りに近い形にしたのは。

 

では妹はなんで返事しなかったのか?

彼女の考えは分からない。不思議ちゃんすぎて。

とにかくフニャフニャフニャフニャしてる。

そんな軟体動物のままで40代50代になっていくのだろうか?

流石に周りに通用しないと思うよ・・・まぁそれも妹の人生なのでもう私は知らない。

 

施設で看取って頂いた

その後父は誤嚥性肺炎を繰り返し、徐々に食べられなくなり最後は点滴のみで1カ月とちょっと頑張り亡くなった。

 

父に認知症は無く、後遺症で体は動かせないし上手く喋れないのに頭はクリアという本人にしてみれば非常に辛い状態を過ごしてきました。

昔読んだ乙一の失はれる物語みたいだなと思った。父は辛かっただろうと思う。

 

父は一度だけ私に弱音を言った事がある。

言ったというか、メールで送られてきた。

上手く喋る事が出来ないので父からの用件はもっぱらメールだったのです。

確か部屋で転倒して本格的に体が動かなくなってしまった時だ。

「このまま足が動かなかったらと思うと不安だ」

そのメールを読んで思わず父に電話したのを覚えている。

結局はその不安は的中してそのまま寝たきりとなってしまうのですが。

 

73歳という年齢は介護の世界ではとても若い。

若い父に胃ろう等の延命治療をしないとを決断したのは私です。

父に対しては、介護での葛藤、苦悩、重圧という感情がずっとあった。

「胃ろうはしません」「口から食べられなくなったらもう後は自然に」この言葉を医師に言う時の気持ちを二度と体験したくない。

でも今後、母にその時が来たら誰がその言葉を言えるだろう?

逃げ回ってる兄妹がこの言葉を言えるだろうか?責任を背負いたくない兄妹にはきっと無理だろう。優しくて弱い姉はどうだろう・・・

彼らは私のこんな苦悩を全く知らないのだ。

父の唯一の弱音も兄妹は知らない。

父と私の間にはきょうだいが知らない、看取りまでの私と父の物語が存在するのです。

 

長くなったので続きは後編で。

 

あずきこのヘンテコポーズよくする(笑)

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