保護猫と暮らす あずとこた

保護猫2匹のほのぼの4コマ漫画と親の介護ブログです

☆猫2匹のほのぼの4コマ漫画を書くブログです

スポンサーリンク

今年一年を振り返り&あずきの成長写真

にほんブログ村 猫ブログ 猫絵・猫漫画へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

一年を振り返り

 

もうすぐ今年も終わりますね。

なんだろう、あっという間だったな。

色んな事がありすぎて1年があっという間に終わってしまう感じ。

もうね、介護介護介護。これしか思い出せない。

 

母の乳がん手術後、歩行困難になってしまったあの数ヶ月が相当にきつかった。

やむなく限度額以上の頻回なヘルパー派遣になってしまい、10割負担のヘルパー代を少しでも削る為に姉と私は一日交替で実家に通った日々。

行きは高速で2時間帰りは高速代節約のために下道で3時間の道のり。

週2回の術後通院を車椅子での付き添い。

糖尿病内科と整形外科、精神科にも合間に行かなくてはならなかった。

母のオムツを交換し、着替えさせて、漏れたシーツや洋服を洗濯して食事を食べさせて・・・・

賃貸の階段が急で簡易スロープを使う事が出来ずに、大人2人で母を乗せた車椅子ごと抱えて階段を降ろすという力技の日々。

私と姉は腰と膝を痛め筋肉痛になった日々。

 

受け入れ先の施設が見つからない日々

寝たきりで在宅での一人暮らしは困難と急ぎショートステイの出来る施設をケアマネが探すも見つからない。

区内は全滅と言われる。

 

術後の頻回な通院とインスリン注射が必要で医療度の高い母を受け入れてくれる所が見つからない。

痰の吸引が必要だった父の時もそうでしたが、医療度が高いと断わられます。

 

今思うと施設が見つかるまでとはいえ寝たきりでよく一人暮らしをしていたものだ。

夕方からは完全に母一人きりです。

ヘルパーさんと訪問看護師、私と姉で情報共有交換日記を書いてました。

あの時はみんな?で一丸となって母の介護をしていた。母を死なせない為に。

 

車椅子の階段昇降の為だけに自転車で駆けつけてくれていたヘルパーさん、自身の母も私の母と同じ病気を持っていて親身になってくれた訪看さん、翌日設置当たり前の(なんなら当日の時も)福祉用具のお兄さん、レベルMAXの能力高いケアマネージャー。

母を受け入れてくれたショートステイ先のケアマネージャー。

 

母も私も姉もたくさんの人に助けられた一年でした。

 

巨大猫とミニ猫?! 遠近法って面白いね

 

実はあの頃パパは長期出張中だった

母の乳がん手術後の歩行困難時、実は夫は長期出張中で家に居なかったのです。

3カ月ほどの出張。

家の事を夫に頼めず、でも我が家には小学生の子供がいる状態での長距離介護だったのです。

あの時は娘に夜遅くまで一人で留守番させてました。

夜10時近くまで留守番させる事もしばしばありました。

なので実家に泊まるという事が出来ず、なにがなんでも帰らなければなりませんでした。

当時のブログには夫が出張中である事は書いてません。

子供が一人で留守番してるなんて情報を書くのはさすがに不用心すぎると思ったからです。もちろんとっくに出張は終わって帰ってますよ!

 

子供を一人で留守番させる事の罪悪感と自分の家の事が二の次になってる事のくやしさと家の事を夫に頼る事が出来ない事(居ないので)の不安とで当時は精神的に相当来るものがありました。

精神的にも体力的にもクタクタでした。

 

極めつけは、夫のお母さんから娘を長時間留守番させないで欲しいと言われてしまい・・・

分かってるよ。分かってるんだよ。

そんな事は自分が一番分かってて、申し訳ないと思ってるよ。

でもじゃあどうすれば良いの?

誰が歩けない母の世話をして病院に連れて行くの?

近居の兄はヘルプの連絡も無視してるんだよ?

妹も返事を全く寄こさなかった。

正解も出口も兄妹の助けも見つからなかったあの頃。

追いつめられた私は兄と妹を憎む事で心を保っていたのです。(今も許してません。多分一生)

 

母は施設に、そして父は亡くなり

正直に言うと、父が亡くなって介護の手間という点ではだいぶ楽になりました。

父の死を願っていた訳ではありませんがホッとしたのも事実です。

父と母二人分の介護の精神的疲労と負担、不安感は相当なものでした。

事務手続き等は一手に私が担っていましたのでその辺りも母一人分になり少し楽になります。

相続するような家も無かったので相続の手続きが無いのも大きいかな。

真夏の賃貸解約の時は大変でしたけど・・・・

 

 

介護に関して思った事は、お金があればなぁ。

これに尽きます。

お金があれば7割~8割方解決できます。

有料老人ホームに入る財力があれば比較的自由にできます。

残念ながら我が両親は貧乏だったので介護する側はこんなに苦しんだのです。

10割自己負担でもヘルパーさんを雇えれば頻繁に介護に帰らなくても済んだでしょう。

娘を一人留守番させないで済んだでしょう。

両親には思う所はたくさんあるし、納得出来ない事もたくさんあるけどね、兄と妹のように完全に放り出す事も出来なかった。

それは楽しかった記憶もあるから。

子供の時の両親との思い出があるから。

兄と妹のように完全に親を切る事ってそうそう出来る事じゃないんだよ。

感情はそんなに単純じゃないもの。楽しい記憶も苦しい記憶も全部ごちゃ混ぜでやっぱり親への情も残ってる事に気づく。

親を完全に切った兄と妹は鬼にでもなってしまったのだろうか。

簡単に出来る事じゃないんだけどな・・・

 

姉だけが線香をあげに来た

父の死後、姉だけが我が家に線香をあげに来ました。

1月に永大供養にて納骨の予定です。

 

ここまで兄と妹から無視される父が不憫でならない。

代わりに私が毎日手を合わせるからさ、お父さん。だから宝くじ当てて!!(笑)

 

ここであずきの成長を振り返りたいと思います

保護されて1カ月ちょっと、ガリガリ君だったあずき。

これでもあずき1才の体重2.5キロ。仔猫に間違われるほどの細さ。

 

あずきを太らせたくて・・・

キッチンに置いてあるちっさい椅子にきゅうきゅうに乗っておやつ待ち

 

すっかりムチムチボディになりました。

あずきはこたろうの事が大好き。

 

完全に家猫の雰囲気になりました。

おねだりも完璧。美味しいおやつクレと鳴くようになりました。

 

今年のブログを振り返り

どうやらブログを書くことが息抜きになっているようです。

その時の状態で荒れた内容になったりグチグチと超ネガティブな内容になる事もあります。

リアルな生活ではとても言えない事をブログで吐き出す事で息抜きになっています。

時に見苦しい内容になる事もあると思いますが、あらあらまた荒れてるわぁこのブログって感じで生暖かく見守って頂けるとありがたいです。

 

また、みなさんのブログも楽しみに読ませて頂いてます(まとめ読みしてます)

 

来年度もゆっくり続けていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします<m(__)m>

 

追記

公開した後ですが・・・

父の火葬後、駐車場まで遺骨を持って歩いた主人ですが、車に遺骨を入れる直前「お兄さん、一度持ってください」と兄に一瞬遺骨を持たせました。

 

後に主人にその意図を聞くと遺骨(父)の重みを感じて貰いたかったと。

このままお兄さんは何もしないで(介護や葬儀など広い意味で)この遺骨の重みさえ知らないで終わるのはダメだと思ったと。

あまりにも責任感の無い兄に夫も呆れていたのです。

追記する程の話じゃないんだろうけど、そういえば書いてなかったな、、、と。

 

兄と口論した話はこちら↓↓↓

hogonekoto.com

 

実家の掃除&賃貸解約の話一覧はこちら↓↓↓

hogonekoto.com

 

介護の話一覧はこちら↓↓↓

hogonekoto.com

 

スポンサーリンク